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「卵・小麦アレルギーご飯もう限界!」120万投資のブログ起業で挫折し年収1万に激減した崖っぷち主婦の逆襲

卵・小麦アレルギーご飯の限界とブログ起業の挫折から再出発するプロフィール記事のアイキャッチ画像
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「この記事は、なぜこのサイトが『アレルギー対応』と『家族の健康』をテーマに生まれたのか。その裏側にある、私の挫折と再生の記録です。」

大手企業を辞めて選んだ、ブログという道。でも、現実は甘くありませんでした。 

収入も無くなって、追い詰められた私の心にトドメを刺したのは、第2子の離乳食で起きた「卵・小麦アレルギー」。 

この出来事が、わが家を揺るがす夫婦の大げんかに繋がります。 

なぜ、息子のアレルギーが「夫婦の危機」にまでなったのか。 

その真実は、夫の信じられないほど「適当すぎる肌ケア」が原因でした。 
男の「ちゃんと塗った」と、母の「きちんと塗る」の、絶望的なギャップ……。 

夫の言葉を信じた結果、息子の肌はボロボロになってしまったのです。 

そこから、凄まじい怒りで夫と激しくぶつかり合い、家族でアレルギーを乗り越えてきた私。 

このブログでは、二人の母の知恵を借りてたどり着いた「我が家の安心ごはん」のレシピと、2児の育児中のドタバタな毎日を綴っています。 

目次

大手企業での10年の経験も役に立たない。
「時短の壁」に心もキャリアも折れたあの日(想像以上にキツかった時短!)

第一子出産後の育休開けに、時短で働くのが想像以上に大変だった・・・。 

子供を産む前までは、その会社で10年以上働いてきました。仕事には慣れているし、新人教育も任されていた。だから、時短で一日2時間作業時間が減るくらい余裕だと思っていたんです。 

でも、現実はそう甘くはありませんでした。 

産休に入る以前に私が任されていた業務内容は、
ミスが許されない重要な内容ではあるけれど、時間はそんなにかからず、日によっては午前中でやるべき仕事が終わる事もあった。 

(これなら、時短で復帰しても難なくこなせると誰もが思いますよね。) 

でも、産休明けに会社に戻り、
待っていたのは「誰でも代わりが効く、マニュアル化された大量のルーティン業務」でした。

働く時間は短くなったのに、細かなタスクの量は以前の何倍にも膨れ上がっている感覚 でした。

重要な仕事からは外され、それでいて日々の細かな業務は時間内に終わらない。休みや早退が増えれば、チームの業務バランスも崩れていく。

5年間、必死に食らいつきましたが、心はもう限界でした。 

私は、何でも深く真に受ける気質で、 
周囲からの「悪気のない、でもリアルな言葉」で更に自分を追い込んでいきました。

忘れられないひと言
  • 「時短だから重要な役割は難しいよね」
  • 「この仕事お願いしたいけど、もうすぐお迎えの時間だよね?」
  • 「急な休みが多いと、やっぱり現場のやり繰りが大変で……」

誰も悪くない、世の中に時短を受け入れる体制が整ってないのが問題だったのだと思う。 

今思えば、上司に「時短だから重要な仕事じゃなく簡単な仕事の方がいいでしょ?」と言われたときに、「いいえ、長年の経験があるので出来ます!以前の仕事をやりたいです!」と言えばよかった。 

でもその時の私は、こう思ってしまったんです。 

  • 「業務が重要な分、確かに私が急に休むとみんなが困るだろうな・・・。」 
  • 「上司が新人社員に任せたいと言ってるのに、時短の私が重要な仕事を奪うのも気が引けるな・・・。」 
  • 「前の役割を受け持ちたかったけど、膨大な業務の担当でも納得しよう。大丈夫。自分なら大量の仕事もこなせるはず・・・。」 

結果、出来ませんでした。 

私宛てだと思われる同僚の溜息が聞こえてくる。 
周りに迷惑をかけ続け、自分がただの「役立たず」に思える日々。 

断然、復帰後に以前と同じ仕事がしたいと押し切っていたら、 
こんな辛い事にはならなかったかもしれない。 

そこに追い打ちをかけるように、職場で大きな環境の変化がありました。

オフィスの大幅な移転が決まり、私の通勤時間がそれまでの倍以上に膨れ上がる事になったのです。

通勤と保育園の送迎で、往復4時間以上。 

精神的にボロボロだった私は、往復4時間かけてキツイ時短を続けるくらいなら「いっそのこと、もう誰にも迷惑をかけない仕事がしたい」と思い、夜な夜な必死にネットを検索しました。 

この検索こそが、のちに120万円もの授業料を払って受けることになる、トレンドブログのコンサルサイトとの最初の出会いでした。 

脱サラへの甘い罠?私が「120万円の投資」を決めた魔法のメルマガの正体

まさか、ただの「無料メルマガ」を読んだだけの私が、4日後に120万円もの大金を支払う事になるなんて、

この時は夢にも思っていませんでした。

そのサイトには、ブログで成功したメンター(成功者の先生)が、成功談を紹介するとともに生徒募集をかけていました。

それまでの私は、自分発信のSNS運営をしたこともなく、ブログというものが何かもよくわからないまま「無料教材メルマガ申込」ボタンを押しました。

すると定期的に「ブログ運営の手法」的なテキストがメールで送られてきたのです。

メルマガにはメンターが「こんな体験をして、こんな風にして脱サラして、こんな風にブログで稼ぎ、過去のコンサルでこれだけの生徒にブログ運営を教えた」という成功体験などを紹介してくれてた気がする。(4年前の事なので少し記憶があやふや。)

無料教材が何日かに分けて何通か送られてきて、最後に送られてきたメールにあった文字をみて驚いた。

突きつけられた究極の選択

「ここまでメルマガを見た方に、「ブログで稼ぐ」を目標に実践できる、年費40万円の有料コンサル申込が可能です。期間は1年間。申込期限は4日間。4日間を過ぎるとそれ以降は2度と申し込めません」

上記の様な文章だったと思います。

私は焦って外出先の夫に電話をかけ、事情を話しました。すると夫は、一言返事で快諾してくれたんです!

なんて優しい夫だ。会社で嫌な事があったり、時短でキツイ思いをしてるのを良く知ってるからやらせてあげようと思った様だ。

普通だったら「それ詐欺かもしれないよ」「そんなうまい話無いよ」「40万て、月3万円か。ちょっと高くない?」とか言いそうなもんだ。

それを私の夫は、私の話を遮ることなく、二つ返事で快諾してくれたのです!夫との出来ごとで、出産を除けばここ数年で一番、心が震えるほど嬉しかった出来事でした。

私の両親には、しばらくコンサルを受けている事を言えませんでした。絶対に馬鹿にされるし、反対されるとわかっていたからです。

「無断で副業は即アウト」会社の承認が必要な中で直面した、4日のタイムリミット!

4日以内に申し込まないといけないのに、会社では無断副業禁止だった。

副業申請をして承認が下りないと初めてはいけないという決まりがあった。

メルマガの通知を見た途端、心の中は大パニック状態になりました。

「え!会社にバレたくない!」
「申込期限はあと4日しかない!」
「こっそり副業してバレたらまずい……!」
「会社の承認は何日もかかるのに間に合わない!どうしよう!」

追い詰められすぎて、本当に吐きそうなほどでした。

メルマガの送り主宛てに、「会社の承認に時間がかかるので期限を待ってもらえないか」とメールを送りましたが、返事はありませんでした。

「万事休す」かと思いましたが、奇跡的に会社への副業申請が翌日に承認されたのです。

そのおかげで、4日間の期限内にコンサルを申し込むことができました。

2年で「80万円」失って年収1万円。絶望の底で知った第2子の妊娠

焦れば焦るほど、体は動かない。重いつわりに襲われ、私のブログ運営は完全にストップしてしまいました。

そこから大きな成果も出ないまま2年コンサルを受け、この時点で80万円支払っていました。

そんな2年目のコンサル期間中に第2子を妊娠。
悪阻(つわり)がひどく、一切の作業が出来なくなってしまったのです。

更新期限が近づき、コンサルの先生に「妊娠したから、1年休んで、産後復帰したい」と相談しました。

そのコンサルは、継続するか退会するかの二択で「休止」という前例はなかったらしいのですが、先生は快諾してくれました。(先生に感謝・・!!)

その後、無事に出産。
元の会社で産休・育休を取得し、子供が1歳になった直後の4月に会社を退職。

産休前に一緒に働いていた人たちは全員良い人で、この人たちとずっと一緒に働きたいと思えた。

それでも、オフィスの移転でこれ以上通勤時間が伸びるのはきつい。そして、過去に別の部署で傷ついた心の傷は、そう簡単に癒えるものではありませんでした。

「最高の環境を捨ててでも、私は前を向くんだ」

周りから見れば本当に頑固だったと思いますが、私の決意が変わることはありませんでした。

生後8ヶ月でアレルギー発覚。夫の「ちゃんと」を信じた結果、息子の肌はボロボロに。ついに私の怒りが大爆発した日

病院でお医者様から告げられた、「アレルギーと肌ケア」についての衝撃の事実。
これまで夫婦のすれ違いで溜まっていた不満が限界を迎え、私の怒りはついに、一気に大爆発したのです。

第2子の生後6か月の終わりころ(ほぼ7か月)に離乳食を開始しました。
最初は10倍粥からスタートして、段々おかゆを食べさせ、1か月が経った頃のことです。

そろそろパン粥をあげようと、生後8か月半の時に、赤ちゃん用の小さいスプーン3分の1位ほどの、本当に少量を1日1回、3日連続で与えました。

すると3日目にアレルギー症状が出てしまったのです。

顔は真っ赤に腫れ上がり、顔の形がボコボコになるほどでした。体中にも赤い蕁麻疹がが広がっていきます。

特に酷かったのは首の後ろで、直径2~3ミリ大の白いイボのようなものが、どんどん増えて10粒ほどになりました。

映画『グレムリン』に登場するギズモという生き物が、水に触れると体がブクブクと泡立つシーンがあるのですが、まさにあんな感じがして本当に怖かったです……!(実際はあそこまで大きく膨れはしませんでしたが、当時はそれほどパニックでした)

私は急いで、アレルギーが得意だという小児科へ駆け込みました。
小児科界隈では有名な、昔ながらの手法を取り入れる病院でした。

診断は「アナフィラキシー」。

先生からは「蕁麻疹程度でよかったね。もっと大変なことになってたかもよ。そうならなくて良かったね」と言われました。
(安心させようとしてくれているのか、怖がらせようとしているのか分からず、複雑な心境でした……)

この先生は負荷試験は反対派で、「そのまま放っておいて、2〜3歳になったら血液検査でアレルギーの数値を見て、問題ないなら食べさせる」という方針だったのです。

念のため、いつもお世話になっている別の小児科へもセカンドオピニオンとして相談に行きました。

すると、その小児科の先生からは全く違うお話をされたのです。

「今は負荷試験をしていくのが主流です。放ったらかしで大丈夫なこともあるけれど、少しずつ慣れさせていくのが主流。そして何より、肌のケアが最も重要です」

私の息子は、生後数ヶ月の頃から肌荒れがひどく、手足の皮膚がめくれて赤くただれていました。

0歳9ヶ月の息子の手の肌荒れを見た先生は、こう続けました。
「こんなに肌が荒れていたから、アレルギーになってしまったのかもしれませんよ。肌がキレイだったら、もしかしたらアレルギーは発症しなかった可能性もあります」

この言葉を聞いた瞬間は、ショックもショック、大ショックでした。

【後悔】息子の肌ケアを夫に任せた自分を責めた。そして0歳の息子は「食物アレルギー」になった

「朝晩ちゃんと塗ってるよ」という夫の言葉を信じ、任せきりにしてしまっていた自分を、一生悔やんでも悔やみきれません・・。

以前から小児科の先生には、何度もこのように注意されていました。

「息子さんの手足の肌荒れがひどい。塗り薬を出すので、朝晩しっかり塗ってください。食物アレルギーになってしまいますよ」

実は、我が家の肌ケアの分担は以下のようになっていたのです。

  • 第1子(長女)の朝晩の肌ケア:私が担当
  • 第2子(長男)の朝晩の肌ケア:夫に任せていた

私は夫に「肌荒れが酷いと食物アレルギーになる可能性が大きいって病院の先生が言ってたよ。朝晩ちゃんとしっかり塗ってる?」と、何度も確認していました。

その度に、夫からは「ちゃんと塗ってるけど治らないんだよ」と聞かされていたのです。

私はそれを真に受けて、心の中で「朝晩ちゃんと塗っているのに改善しないなら、体質だから仕方ないな」くらいに思っていました。

【確信】私のケアで肌荒れが2日で劇的改善。そして夫婦は「最大級の修羅場」へ

たった2日でツルツルになった息子の肌。それを見た瞬間、生後まもない頃からの夫の(間違った)肌ケアと、医者から何度も受けた忠告が頭をよぎる。私の怒りは一気に最高潮に達し、正気を失うほど完全にブチ切れ、夫を延々怒鳴り散らしていた――!

――ことの始まりは、息子の肌ケアを私が引き継いだ後のこと

息子がアレルギーになった事実がすんなり受け入れられなかった私は、夫の肌ケアを疑いこう告げました。

「本当にちゃんと塗っても改善しなかったのか、それともあなたがちゃんと塗ってくれていなかったのかが分からない。今日から私が息子の肌ケアをやる!」

そうして、私が朝晩の肌ケアを行うことにしたのです。

すると、なんと2日ほどで手足の肌荒れがキレイになったではないか……!!!

手足の皮がベロンとめくれて、赤くて血も滲み、ぐちゃぐちゃだった息子の肌が、私のケアでいとも簡単に綺麗になっていく。

その綺麗になった肌を見た瞬間、私の中の疑惑は完全な『確信』に変わり、怒りが一気に頂点へ達しました。

「やっぱりあんたがちゃんと塗ってなかったんじゃないか!息子がアレルギーになったのはお前のせいだ!」と、我を忘れて怒鳴りまくってしまいました。

息子の今後の人生がかかっていると思うと、どうしても冷静ではいられなかったのです。

しっかりケアをしていて、それでも発症してしまったのなら「仕方がない」と思える。

だが、だがだよ。

あんなに私が何度も忠告して、あんなに小児科の先生に何度も忠告されたのに、一生懸命に肌ケアをしなかったのが原因で大事な息子がアレルギーになったかもしれないと思うと、どうしても怒りが収まらず、夫を心底大嫌いになりました。

(※現在は、夫も『あの時の僕がバカだった』と猛省し、小麦・卵なし生活を一緒に全力で支えてくれる頼もしいパートナーです。念のため!笑)

子供の卵・小麦アレルギー克服を目指し、親子で歩む「負荷試験」の日々

あの最大級の修羅場から、早いもので1年半。

現在息子は大学病院に通い、医師の指示のもと決められた量を食べさせ練習する「卵・小麦」のアレルギー克服を目指し練習中です。

(※医師の厳密な指導のもとで行っています。絶対に自己判断で真似しないでくださいね。)

我が家は全員、卵と小麦が大好きな家族です。それなのに、息子がアレルギーになって以降は、卵・小麦なしの献立・レシピ作りに毎日必死で奮闘しています。

世間一般的には、3歳くらいになるとアレルギーが治ることが多いと言われています(中には、なかなか治らない人もいると思います)。

夫は、あの時の大げんかを猛省したのか、「もし主治医から『お子さんのアレルギーは治らない』と言われたら、僕も責任を取って一生、卵と小麦を食べない」と宣言しました。

こればかりは、絶対に有言実行してもらいたいと今でも思っています。

しかし、我が家の戦いはアレルギーだけではありませんでした。

息子の体調管理に追われる裏側で、私の「退職とブログ起業」という絶対に負けられない壁にぶちあたっていました。

「会社を辞めて、ブログで生きていく」

まともな収入ゼロ。保育園に落ちれば即終了。そんな退路を断たれた私が、役所を巻き込んでの「異例すぎる挑戦」が始まりました。

周囲から見れば無謀でしかないその夢を叶えるため、まずは役所の常識を力技でひっくり返さなければならない、前代未聞のミッションが動き出したのです。

役所も困惑。「会社を辞めてブロガーになります」という異例の保育園入園申請

本来、保育園の申し込みというのは「現在の勤務先に席を置いたまま産休・育休を取得し、元の職場に復帰する」事が大前提です。

しかし私の場合、
「会社には復職せず退職します。それで、今後はブログをやっていくので、保育園に入らせてください。」
というメチャクチャな申請でした。

役所の入園窓口の担当者さんは、前例がなさすぎて完全にフリーズ。

本部へ何度も電話で事情を説明し、電話の向こうの保育園指数関係の本部の方も、前例がない申請にかなり困惑している様でした。

それでも、「入園要件を満たす内容の申込」が可能かかを双方必死に調べながら対応してくれました。

それからも、私は役所に何度も出向き、何度も電話をかけました。

「もう一度、事情を説明してください」と言われては事情を説明し、
「次はこれを持ってきて、今度はこの書類を見せて」と言われては、何度も書類や資料を揃えて持参し、話し合いました。

提出したのは、

  • 現在の会社の産休育休の手続き書類
  • 会社概要
  • 転職先(自営業)の証明となる、ブログの過去の収益やサイト画面を印刷した資料
  • 保育園の申請書類(これは通常と同じ)

――こらを必死に揃えて、何度も窓口へ運んだのです。

最終的には、何度も通ううちにすっかり私の専属のようになってくれた窓口の女性に、私は涙ぐみながら必死に本音を訴えました。

「時短で上司や同僚から『役立たず』と思われてるみたいだし、職場も移転してしまうんです……!もう会社に戻れません、誰にも迷惑をかけず一人きりで働きたいんです……!」

決して嘘泣きではありません。話しているうちに当時の辛さが一気に蘇ってきて、自分でも心底悲しくなってしまったのです。今思い出しても胸が締め付けられます。
(今現在も、時短で働いている全ての女性とその周りの人の苦労が少しでも少ないことを、本当に願ってやみません)

もう一つ、保育園に入れた大きな要因があります。

当時、奇跡的に「1日1万円弱の収益」を何日か出せたことがあり、「ちゃんと働いていたという実績(書類)」を証明できたのです。

この証明がなかったら保育園に受かっていなかったかもしれません。

窓口の女性と一緒に、知恵を絞って作り上げた「前例のない入園申込書」。

その書類の余白には、担当の方が赤ペンで
「この方は、今の会社を辞め復職せず転職する。理由は会社移転で職場が遠方となるため。」
など、本部の審査担当者に向けた熱いフォローのメモがびっしりと書き込まれていました。

そのおかげで、無事に期日内に申請を済ませることが出来、
なんとか息子が保育園に入園することが出来ました。

あのとき、前例がない中で一緒に戦ってくれた窓口の担当者さんと、本部の担当者さんには、今でも感謝の言葉しかありません。

しかし、この奇跡的な合格は、これから始まる「120万円の投資をかけた、果てしない暗黒期の始まり」に過ぎなかったのです。

奇跡的に受理された保育園。目指すはブログで年収400万円!……のはずだった。

奇跡的に受理された保育園。目指すはブログで年収400万円!……のはずだった。

「やったぁ!脱サラだ!明るい未来だけが待っているぅぅっ!」

少しの不安と、それ以上に大きすぎる期待を胸に抱き、最後の一年間となるコンサルが始まりました。
(この時点で、お支払いした授業料は合計120万円になっていました)

「最後の一年間」と決めたのには、理由があります。

さすがに120万円も投資してきましたし、さらに4年目を更新して合計160万円もの授業料を支払う余裕は我が家にはありません。

「3年やって成果が出ないなら、4年目以降に成果が出るわけがない」

とにかく、今回で絶対に結果を出してコンサルを終わらせなければならないと、退路を断つ覚悟でした。

無事に子どもを保育園に預けることができ、生後1歳6ヶ月を迎えるタイミングでのリスタート。

「副業で始めたブログで、本業以上に稼ぐぞ!」と、当時は安易に考えていましたが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。

会社を辞めた私は、保育園の申請時に提出した「勤務時間」の通り、毎日必死になってブログに向き合い続けました。

来る日も来る日も、朝から晩までパソコンに向かい、作業をしすぎて腰を痛めてしまうほど努力を重ねたのです。

が、しかし……。

ここから、私の2年半の血の滲むような努力が、一瞬ですべて水の泡となる「最大の悲劇」が襲いかかります。

大手企業のキャリアを捨て、120万円をブログに「溶かした」私。
でも、このまま終わりたくない!

――私が2年半、必死にトレンドブログで結果を残そうと格闘してきた結末。

それは、検索エンジンのシステム変更によって、私のブログがネットの海から一瞬で消え去ってしまうという残酷なものでした。

本業で1日中働いたあとも、子どもたちが寝静まったあとに睡眠時間を削って、ボロボロになりながら頑張ってきた甲斐もあり、「なんとなくコツが分かってきた!これなら稼げる気がする!」という感覚が掴めてきた頃。(このときの私は、年収400万どころか、もっともーっと稼げる未来さえ見えていた。)

そんな、私のブログに次々と襲い掛かる災難。

最後の3年目のコンサル期間は、あと4ヶ月も残っている。

それなのに、
「私にはトレンドブログで稼ぐことはできない・・・」
と、目の前が真っ白になったのが、つい先月のことでした。

絶望のどん底にいた私に意図せず「これからどうブログで生きて行くか」のヒントをくれたのは、遠く離れて暮らす「二人の母」の存在でした。

(※補足しておくと、私が受けたコンサルは決して悪いものではなく、実際に本業以上の成果を出して大成功されている仲間もいます。ただ、当時の私のスキルや進め方が下手だったのだと思います。それでも、そこで必死に学んだ『書くスキル』だけは宝物のような財産として残った。)

【決意】「今日のごはん、もう限界!」と泣きそうなママと一緒に頑張っていきたい

トレンドブログの挫折で120万円を失い、死に物狂いで学んで残ったのは「書くスキル」という財産だけでした。

これを活かし、キッチンで孤独に悩むアレルギーっ子のママ(パパや保護者)さんの役に立てるだろうか。

アレルギーがある人も、ない人も。除去食をする人も、しない人も。
何かを食べて生きている全ての人と食で繋がって幸せになりたい。

そんな思いでこのブログでレシピを書いていこうと思います。

このブログでお届けする3つの柱
  • 「卵・小麦なし」の我が家のリアルな献立
  • 「小麦・乳製品なし」の達人!「実母」の代用レシピ
  • 「減塩・減糖」制限の中でも、義母が「美味しい!」を諦めなかった健康レシピ

稼ぐための数字を追うのはもう終わり。(本当は諦めたくなかったけど・・!)

これからは、私のように「今日のごはん、もう限界!」とキッチンで泣きそうになっている皆さんと一緒に、毎日を少しでも楽しくするためにこのブログを書き進めていこうと思います。

アレルギー対応と、家族の健康。この二つを「同じ献立」でみんなで美味しく楽しむためのリアルな泥臭い記録。

それが、毎日の食事作りに奮闘する人全員の「今日のごはん、なんとかなりそう!」という小さな心のゆとりへと繋がりますように。

そしてもう一つ、私にはどうしても叶えたい「小さな願望」があるのです。

将来、我が子が子供を授かったとき、その子がまたアレルギーに直面するかもしれない。

その時の為に、「将来自分の子どもや孫に残せるレシピ」としても、この場所に大切な味を保存していきたいと思うのです。

さらにこの場所は、まだ見ぬ未来の家族へ、我が家のルーツを伝えるタイムカプセルのような役割も持たせたいと考えています。

天国にいる祖父母の戦争体験や、昭和の激動期を生き抜いた両親の希望に満ちた人生ドラマ。そして、私たち夫婦の何気ないドタバタな日常。

会ったことのない先祖たちの生きた証を、これからは美味しいレシピの思い出とともに、少しずつこのブログに書き残していこうと思います。

皆さんに感謝。

どんな人でも生きている間に、幾度となく壁にぶち当たる事がありますよね。

私もこれまで沢山の壁を乗り越えました。
(というか、今も目の前に巨大な壁が立ちふさがってますけどね!)

不思議なことに、会社を辞めて、たった一人で孤立してみると(家族はいるけど)、これまで出会ったすべての人に、心から感謝の気持ちを持てます。そしてみんながすごく恋しい。

感謝したいのは、

・迷惑をかけまくった両親(大喧嘩して数年絶縁していた親ね。)

・無理難題に応えてくれた保育園の担当者さん(感謝感謝感謝!!)

・厳しくも温かく指導してくれたブログの先生方(出来の悪い生徒ですんません!)

・夫(喧嘩ばかりだけど今後もよろしく!)

・会社で出会った全ての人(何年も社会人人生と共にしたんだから大事に決まってる!)

・学生時代の友人(片手で数えられるくらいしか友達いないけどね!)

かつてのバイト仲間(誰とも連絡とってないけど皆元気でやってるだろう。)

そして子供達(娘!息子!死ぬほど大好きで愛している―!母は毎日怒りまくってるけどね!)。

いやー、出会った人全員ですね。関係が上手くいかない人もいたけど、今となっては感謝。

もちろん夫の両親にも深く感謝してます。

義理の両親にはそれこそ戦争による(義父の)兄弟の離散、台風での漁船大破、無人島への置き去りでの生死不明など、ドラマ以上の壮絶な人生の歴史がありました。

語り出せばキリがないほどのエピソードですが……(笑)。

そのあたりのお話は、これからレシピと共に少しずつ「コラム」として書いていこうと思います。

何より、こんな私と一緒に歩んでくれている夫と、元気に育ってくれている子供たちに、心から感謝しています。

もう2度と味わえない祖母の味。だから私は、母たちの料理を「一生モノのレシピ」として残す

私の祖母は両家とももう天国に行ってしまい、今となっては祖母の料理を食べることは叶いません。

母方の祖母は魚を焼くか焦げた卵焼きを出すかくらいで全く出来ない人だったそうですが、父方の祖母は煮物とカレーが絶品で、「もう一度食べたい!」と思っても、レシピが残っていないためあの味を再現することができないのです。

私と夫の母は今も元気で、どちらの母の料理も健康的で本当に美味しい。

だからこそ、我が娘と息子にとって「両家の祖母と母の味」を形にして残し、息子専用のアレルギー対応の献立もここに残そうと思います。

そして、これがかつての私のように「今日のごはん、もう限界!」と泣きそうになっている誰かの助けになれば、これほど嬉しいことはありません。

……そんな思いで、崖っぷちからこのブログを立ち上げました。

私がこのサイトで紹介している「レシピや暮らしの工夫」の内容は、【このブログについて|アレルギーっ子と家族が笑顔で暮らす知恵】をみればわかります。もしよろしければ、あわせて覗いてみてくださいね!

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